太田 資俊(おおた すけとし)は、江戸時代中期の大名。上野国館林藩主。遠江国掛川藩初代藩主。江戸幕府の寺社奉行。掛川藩太田家5代。官位は従五位下・摂津守。

略歴

大坂城代などを務めた太田資晴の長男として誕生した。母は戸田氏定の娘。幼名は新六郎。

元文5年(1740年)、家督を継いだ。奏者番となる。延享3年(1746年)9月25日、館林から掛川に移封された。後に寺社奉行にもなった。宝暦13年(1763年)12月10日、掛川にて死去し、跡を次男の資愛が継いだ。法号は道俊日潤慈徳院。墓所は静岡県三島市の妙法華寺。

系譜

父母

  • 太田資晴(父)
  • 戸田氏定の娘(母)

正室

  • 板倉重治の養女 ー 板倉勝清の娘

子女

  • 太田資愛(次男)
  • 板倉勝志正室
  • 久留島通祐正室
  • 稲垣長以継室
  • 内藤頼尚正室

養女

  • 芳春院 ー 松平乗穏正室、太田資晴の娘



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