杜 瓊(と けい)は、中国後漢末期から三国時代の政治家。字は伯瑜。益州蜀郡成都県の出身。

事績

若い頃、任安から図讖を学び、その術を究めた。劉璋の時代に召し出されて従事となった

劉備が益州を平定すると、議曹従事に任じられた。

劉禅の皇帝即位後は諫議大夫に任命された。その後も、左中郎将・大鴻臚・太常と昇進を続けた。

杜瓊は控え目な性格で言葉少なく、門を閉ざして世俗に関わろうとしなかった。蔣琬や費禕らはみな杜瓊の才能を高く評価していた。

延熙13年(250年)、八十余歳で亡くなった。『韓詩章句』を著したが子供たちに教えなかったので、図讖の術を継承する者はいなかった。

脚注

参考文献

  • 「正史 三国志 5 蜀書」(陳寿 著、裴松之 注、井波律子 訳) ちくま学芸文庫 ISBN 4-480-08045-7

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