タニノアローラ(1992年4月4日 - 不明)は、日本の競走馬。1994年のフラワーカップの勝ち馬である。
経歴
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3歳(1994年)
1994年5月16日、岩見沢競馬場のアラ系3才新馬(ダート900m)でデビューし1着。6月1日のアラ系3才OPでの勝利によりオープン入り。重賞初挑戦となった6月29日のフラワーカップでは圧倒的1番人気に推されての出走となった。結果はミスリレハンメルに3馬差をつけ快勝し、重賞初制覇を果たした。7月のアラ系3才OPの2着を挟んでゴールドトロフィーに出走。1番人気のアイアイホーマーが失速する中、3着と健闘(勝ち馬:マサルテンボシ)。次戦のアラ系3才OPも2着と好走した後、札幌競馬場で行われたアラブ3才争覇に出走。直近の勝ち星が無かったことも響き5番人気に支持された。結果はサダノチャンピオンの9着と惨敗。次戦の銀杏特別はハカタヤマガサの2着と、勝ち星にこそ恵まれなかったが重賞以外では善戦を繰り広げた。11月3日には重賞のジュニアチャンピオンに出走。7番人気に支持されたタニノアローラは、1着馬サダノチャンピオンから遅れること10着惨敗で3歳シーズンを終える。
4歳(1995年)
4歳初戦は4月17日の陽春特別。サダノチャンピオンに次ぐ2着と惜敗。以降は特別競走に出走するも8着、7着と掲示板入りすら叶わなかった。5月25日、旭川競馬場で行われた4歳馬限定戦の北海盃に出走。7番人気の伏兵人気を覆せずサダノチャンピオンの8着と惨敗。8月1日にはCD級の北斗七星特別に出走。格を大きく落としたことで2番人気まで回復するもスマノエイカンの11着とシンガリ負け。
5歳(1996年)
古馬初戦は5月9日の福寿草特別。1番人気のゴールデンダストを破りシーズン初勝利を飾った。実にフラワーカップ以来の勝ち星となった。次戦はサラアラ混合戦(以下混合戦)の栗山特別。3番人気に支持されるもジュピター(サラ)の7着と惨敗。その後も混合戦のヒュドラ特別に挑むもスクオールタカ(サラ)の5着と掲示板入りするのがやっとだった。7月11日の宵の明星特別からアラブ戦に戻り、6番人気の3着と好走。翌8月8日の天の川特別では2着コイジガワに6馬身差をつけて勝利を収めた。その後は混合戦のディオスクロイ特別に出走。アラブのサダノチャンピオンの他に北斗盃2着のジョーパレス(サラ)が出走するなか5番人気に支持された。結果はショウエイヤングをハナ差で制し勝利。9月も引き続き混合戦のアルゲディ特別に出走。アラブとしては最も人気を集めた2番人気に支持されステディボーイの4着、3着との差はクビ差とサラブレッド相手に善戦。黄菊賞ではレーシングクィーンの7着と惨敗するも、10月29日の混合戦・十勝農協連特別ではリッシン(サラ)にクビ差まで迫り2着。
6歳(1997年)
6歳初戦は4月22日のゆきやなぎ特別。前走の好走が評価されマサルテンボシに次ぐ2番人気に支持されるがファニーバージの4着と黒星スタートとなった。次戦は混合戦の水芭蕉特別。結果はヤマフパディーの11着とシンガリ負け。その後も混合戦・朝里川特別に挑むもメグロタイクーンの8着と大敗を喫した。1997年8月4日付で登録を抹消・引退した。引退後の動向は不明。
競走成績
血統表
- 父の母ヨシゼンは1974年アラブ王冠(春)の勝ち馬。
- 三代母オペレツタは1967年のアラブ大賞典(春)勝ち馬。またこの牝系からは読売カップ(春)を制したフミエが出ている。
- 主な近親はフブキベル(アラブダービー)、バクシンオー(キングカップ、福山ダービー、アラブ王冠、福山大賞典、福山アラブマイラーズ)。
脚注
外部リンク
- 競走馬成績と情報 netkeiba、KEIBA.GO.JP、JBISサーチ




