カーナーヴォン (Caernarfon、ウェールズ語発音表記:[kaɨrˈnarvɔn], 英語: [kərˈnɑrvən])は、ウェールズの町。グウィネズ州、メナイ海峡の東岸にあり、対岸はアングルシー島である。

歴史

カーナーヴォンとはローマ時代の砦に由来する名称である。ウェールズ語ではこの土地をy gaer yn Arfon(モン島と向かい合う土地にある砦)と呼んでいた。モン島(Môn)とはウェールズ語でアングルシー島を意味する。

1221年、ルーウェリン・ザ・グレート(en)はアングルシー島のペンモン修道院の聖職者たちに憲章を授け、地名をKaerinarfon [2]と称した。ウェールズの年代記である『諸侯たちの年代記』(en)においては、KaerenarvonCaerenarvonのつづりが用いられた。古くには替わりの名称としてCaer Seiontがあった。中世のウェールズ語の昔話Breuddwyd MacsenではそれはCaer Aber Sei(o)n(t)と呼ばれた。Seiontとはメナイ海峡に注ぐ川の名で、『Seiont川の河口にある砦』 を意味する。また、Caer Gystennin(コンスタンティンの城)の名もあった。

カーナーヴォンはかつてあったカーナーヴォンシャーの歴史的なカウンティに属するカウンティ・タウンであった。まちは大規模な石造りのカーナーヴォン城でよく知られていた。城はエドワード1世によって建設されたため、その結果時にはイングランド支配の象徴とみなされていた。

1284年、エドワード1世の憲章によってカーナーヴォンはバラ(自治都市)となった。幾度か追認された憲章により、城の最高責任者(Constable of the Castle)がバラの首長に任命された。かつての自治都市としてのバラは、1963年にロイヤル・バラ(王立都市)となった。このバラは1974年に1972年地方自治法によって廃止され、ロイヤル・タウン(royal town)の名が自治体に授けられた。

政治

グウィネズ州議会がカーナーヴォンに置かれている。地方裁判所はカーナーヴォンと北西ウェールズの他の場所を管轄する。

統計

2001年のイギリス国勢調査において、人口の86.1%がウェールズ語を話した。ウェールズ語話者の最大のグループは10歳から14歳の年齢層で、そのうち97.7%が流暢に話すことができた。

脚注

関連項目

  • コンウィ
  • ハーレック

カーナーヴォン城 グウィネズのエドワード1世の城郭と市壁 世界遺産オンラインガイド

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オーストラリア:カーナーボン 旅行のとも、ZenTech

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