高橋 克己(たかはし かつみ、1892年3月9日 - 1925年2月8日)は、和歌山県和歌山市出身の農学博士。
生涯
明治25年(1892年)3月9日、和歌山県海草郡木本村(現:和歌山市木ノ本)に生まれた。
木本尋常小学校、旧制和歌山中学校(現:県立桐蔭高等学校)、第三高等学校を経て、1914年東京帝国大学農学部農芸化学科に入学。卒業後は東京帝国大学院に入学し、鈴木梅太郎の指導のもとで油脂成分の研究に従事した。1920年(大正9年)理化学研究所研究生として研究を続けた。
1920年(大正9年)11月23日、奈良県の藤岡長二郎六女・英子と結婚し、1922年(大正11年)5月に長女・ユリが生まれ、1924年(大正13年)4月には次女・多恵が生まれている。
1922年(大正11年)、それまで存在は認められていたものの、抽出が困難とされていたビタミンAをタラの肝油から分離・抽出することに成功したと日本化学会で発表する。ここで抽出されたビタミンAは「理研ビタミン」の名称で商品化され、多くの病人を救った。1924年(大正13年)鈴木梅太郎とともに帝国学士院賞を受賞。その賞金を母校の和歌山中学校に全額寄付した。
1925年(大正14年)農学博士の学位を受けるが、その8日後の2月8日に死去。享年32歳。
1950年(昭和25年)、和歌山文化協会から文化功労者として、顕彰された。2020年、和歌山市木ノ本に胸像と説明板が設置された。
受賞
- 1924年
- 3月 - 桜井賞(日本化学会)
- 6月 - 帝国学士院賞(帝国学士院)
- 1925年1月31日 - 農学博士(東京帝国大学農学部)
- 1950年 - 文化功労者(和歌山文化協会)
家族
- 妻:英子 - 奈良県の藤岡長二郎六女
- 長女:ユリ
- 次女:多恵
脚注
関連項目
- ビタミンA
- 理研グループ
- 理研ビタミン
- 理化学研究所
- 鈴木梅太郎
- 三浦政太郎
- ビバリー・マッカラム - ビタミンAの存在を発見した生化学者
- 有吉佐和子 - 従姉妹の娘




