カドージェネルー(Cadeaux Genereux, 1985年3月22日 - 2010年11月18日)は、イギリスの競走馬、種牡馬。おもに短距離路線で活躍し、1989年のジュライカップなどに優勝した。
経歴
出自
ボビー・ケナードとその妻ヘレン・ケナードが営む、イギリス・ハンプシャーにあるウィッツベリーマナー牧場で生まれたサラブレッドの牡馬である。父ヤングジェネレーションはジャンプラ賞やロッキンジステークスに勝った馬で、また母スマーテンアップもテンプルステークスに同着で優勝した経験のある馬であった。
カドージェネルーは1歳の時にマクトゥーム・ビン・ラーシド・アール・マクトゥームに購入され、ニューマーケットのオリヴィエ・ドゥイエブ調教師に預けられた。その後2歳時に競走馬としてデビューしたが、この年は4着・3着とこれといった結果は出なかった。
3歳時(1988年)
カドージェネルーの本領が見られるようになったのは3歳シーズンからで、4月20日のポンテクラフト競馬場での5ハロンの条件戦において、ポール・エデリーに騎乗されたカドージェネルーは「軽妙に」4馬身差をつけて初勝利を挙げた。1か月後のニューマーケット競馬場でのハンデキャップ競走(6ハロン)でも2馬身半差の連勝、6月のヨーク競馬場で行われたゴールデンスパートロフィーハンデキャップ(6ハロン)では単勝オッズ1.8倍の支持を受け、強豪牝馬のシルバーフィリングを半馬身差抑えて勝利した。それから2週間後にはクリテリオンステークス(G3・ニューマーケット・7ハロン)で重賞に初挑戦した。レースでは新しく鞍上に迎えたパット・エデリーの操縦のもと、スタートからしばらくは待ちに徹し、最後の1ハロンで追い上げて先頭に立つと、後から来た1番人気のサルスを短アタマ差抑えて勝利、4連勝で重賞勝ちを収めた。
8月、カドージェネルーは海を渡ってフランス・ドーヴィル競馬場のモーリス・ド・ギース賞(G2・1300メートル)に出走、牝馬ブルーノート相手の2着に敗れた。イギリスに戻って11日後にはウィリアム・ヒルスプリントチャンピオンシップ(G1・ヨーク・5ハロン)でG1初挑戦となったが、ハンサムセーラーが優勝するなか6着に敗れた。
9月24日に迎えたダイアデムステークス(G3・アスコット・6ハロン)では、先日敗れたブルーノートとの再戦となった。鞍上を務めたパット・エデリーは再びカドージェネルーに抑えさせる競馬をし、最後に内側から抜け出して先頭に立つと、2着馬ポイントオブライトを3/4馬身差で破って優勝した。
カドージェネルーの同年最後の競走になったのは、10月2日のロンシャン競馬場のアベイ・ド・ロンシャン賞(G1・1000メートル)であった。この競走でカドージェネルーは、最後の200メートルで内側から抜け出す競馬でハンサムセーラーを抑えて勝利したが、審議により最下位に降着となってしまった。また、パット・エデリーも8日間の騎乗停止処分を受けている。
4歳時(1989年)
この年、ドゥイエブ調教師がマクトゥームの馬を預かるのを辞めたため、カドージェネルーを含むマクトゥームの競走馬は開業初年度のアレックス・スコットの厩舎に送り込まれた。
4歳シーズンの初戦は3月29日のサンダウンパーク競馬場でのテンプルステークス(G2・5ハロン)で、ここでは断然の1番人気に推されながらも3着に敗れている。また、その次のキングズスタンドステークス(G2・アスコット・5ハロン)ではインディアンリッジが優勝するなか8着と大敗している。
7月13日のニューマーケット競馬場で行われたジュライカップ(G1・6ハロン)の頃には、カドージェネルーの単勝オッズは11倍台とかなり人気を落としていた。レースではポール・エデリー騎乗のもと、再び最後に抜け出す競馬で先頭に立つと、追い上げてきたコロネーションステークス勝ち馬のゴールデンオピニオンをアタマ差退けて優勝、2馬身以上離れて3着に1番人気のデインヒル、さらにハンサムセーラーらを着外に破った。
8月24日、カドージェネルーは去年敗れたウィリアム・ヒルスプリントチャンピオンシップに再挑戦した。パット・エデリー鞍上で単勝オッズ2.1倍の1番人気に支持されたカドージェネルーは、最後の直線で抜け出す競馬でシルバーフィリングに3/4馬身差をつけて優勝、G1競走での連勝を飾った。
その後9月に距離延長となるマイル戦のムーラン・ド・ロンシャン賞(G1・ロンシャン・1600メートル)に挑戦、ポリッシュプレジデントから約2馬身離された3着に敗れてこの年を終えた。
評価
『Timeform』紙の刊行した『A Century of Champions』によれば、1989年のカドージェネルーには131ポンドのクラシフィケーションが与えられている。また、同書においてジョン・ランデルとトニー・モリスはカドージェネルーを20世紀イギリスのベストスプリンター第15位に挙げている。
種牡馬入り後
競走馬引退後は故郷のウィッツベリーマナー牧場に戻り種牡馬となった。種牡馬としてはG1競走勝ち馬を8頭出すなど成功を収めた。以下はその代表産駒。
- ホーマジック Hoh Magic - 1992年生、牝馬。モルニ賞(G1)など。
- ビジューディンデ Bijou d'Inde - 1993年生、牡馬。セントジェームズパレスステークス(G1)など。
- バハミアンバウンティ Bahamian Bounty - 1994年生、牡馬。モルニ賞(G1)、ミドルパークステークス(G1)。
- エンバシー Embassy - 1995年生、牝馬。チェヴァリーパークステークス(G1)など。
- タッチオブザブルース Touch of the Blues - 1997年生、牡馬。アットマイル(G1)など。
- メイボール May Ball -1997年生、牝馬。モーリス・ド・ギース賞(G1)。
- トイサム Toylsome - 1999年生、牡馬。フォレ賞(G1)など。
- ドナティヴム Donativum - 2006年生、騸馬。ブリーダーズカップ・ジュヴェナイルターフ(G1)など。
- レッドカドー Red Cadeaux - 2006年生、騸馬。香港ヴァーズ(G1)など。
このほか、母の父としてノットナウケイトやドリームアヘッドなどを出している。
カドージェネルーはウィッツベリーマナー牧場において、2010年11月18日に眠るように死亡した。これに際し、牧場のマネージャーであるチャーリー・オクショットは「彼はすばらしい働き者でした。年齢的にも肝臓や腎臓の機能が低下しており、少しふらついていたので、少し心配していました。幸い、彼は安らかに眠りについてくれました」と語った。また、『Racing Post』紙はカドージェネルーを「この15年でイギリス競馬に最も影響をもたらした馬の1頭」と評した。
血統表
出典
外部リンク
- 競走馬成績と情報 netkeiba、JBISサーチ、Racing Post
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